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成長期の障害と向き合いながら。ものづくりの一途な情熱に導かれ、コンピューターサイエンスの世界へ。

18歳で42東京に入学した伊藤大和さん。将来のクリエイティブな活動準備のために42東京でコンピューターサイエンスを学んでいます。外見では分からないですが、中学2年の頃より「起立性調節障害」という症状と闘っている伊藤さんに、病気のこと、学校のこと、プログラミングと将来のことについて、話を聞きました。

朝が苦手、起きれないということ

ー伊藤さんが長年向き合っている起立性調節障害とは、どのような病気でどのような症状があるのでしょうか?

伊藤大和さん(以下:伊藤):いくつか症状はあるんですけどわかりやすいところだと、小学校の頃に朝礼とかでぶっ倒れちゃう人とかいたと思うんですけど。

ーよく貧血で倒れた、とかって言いますよね。

伊藤:そうです。それと似たような感じで血圧が極端に低くて倒れてしまう。立っていられないんです。そして、血圧が低いがために寝た状態から起き上がれない。というのが特徴的な症状です。しかも、意識もないので昼ごろにならないと起床できないんです。僕も、この低血圧をともなう疾患という診断を受けました。他には頭痛や腹痛が出たりする人もいるそうです。

ーそれはいつ頃からですか?

伊藤:中学2年生くらいからなってしまって、とても苦労していますね。

ー今もなお、ということですか?

伊藤:厳密に言うと、高校生の頃に血圧は正常値に戻ったんです。ただそれまでの、生活習慣を身体が記憶してしまっていて、普通の人よりも2時間づつくらい後ろにズレているんです。朝8時、9時に登校するというのが困難で。

ー睡眠の事情のことって、周囲にはなかなか理解してもらえないし、辛い思いやストレスがあったのではないですか?

伊藤:みんなが普通に起きている朝に起きられない。学校に行きたい、けど行けない。だから給食の時間に行って、食べて帰るみたいな生活をしていたら、レアキャラ扱いされてしまいました。全校集会でも立っていると血圧が下がって、気持ち悪くなって倒れてしまうし。

ーそれって原因は明確にはわからないものなんでしょうか?

伊藤:確定ではないのですが、いくつか理由は思い当たります。まず、バドミントンをとにかく週6-7くらいでハードワークしていて身体を酷使してしまっていた。その中で顧問の先生とうまく行かなくてストレスが重なり、心身に影響してしまったのが大きいと思っています。特に成長期はなりやすいらしく、今では7人に1人がそうだと言われるくらい日常的なものになっているそうです。障害という名前は付いているんですけど、健康な人でも急に症状が出たりすることもある身近なものらしくて。

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突然、普通の生活ができなくなった中学2年の春

ー週7でバドミントンとは、かなりハードに取り組まれたのですね。

伊藤:小6くらいからバドミントンを始めて、初めて自分にしっくり来るスポーツが見つかったというか。それまでいくつかスポーツをしても、僕はあまり運動神経はよくなくて、だけどバドミントンは直感的に楽しかった。のめり込んでしまいました。中学校はバドミントンを極めたくて、自分の学区から越境してバトミントンの強い学校へ行くことにしました。慣れ親しんだ友達とも離れた学校に通うので、不安はあったけど最初の一年はうまくいってました。バドミントンも成績が良かった。

ーそこからどのように変化していったんでしょうか?

伊藤:顧問の先生と仲が悪くて、状況が悪くなってしまいました。顧問だけでなく、担任の先生でもあるんですけど、同級生に上履きを隠されたことがあって、イジメの対象になってたまるか、と、ムカついて手を上げてしまった。なので最初から先生からの印象は悪かったんです。加えて、僕は納得がいかないことは口に出してしまう性格で、「それは違うと思います」と言う感じで言い返すことも多くて、結果、嫌われてしまったんですね。それでも部活はやりたかったから続けていたんですけど。

ーそんな中で、起立性調節障害の症状が出てきてしまった?

伊藤:そうです。最初は医師の診察も受けていなかったので、クラスメイトからも、居眠りとかサボりと思われて、「眠り姫」なんて言われてしまって。「授業に出ないやつには部活には出さない、来るな」と先生から言われてしまいました。バドミントンのために中学校に行ったのにバドミントンもできないし、授業も出られない、という大変な状況になってしまったのが中学2年生の始め頃ですね。

ーどういった経緯で病名を診断されたんですか?

伊藤:急に起きられていたのが起きられなくなる。親が起こしても起きない。これはおかしいぞ?ということで、病院に行って検査をしました。その中で血圧検査というのがあって、10分横になって、立ち上がってから気持ち悪くなったり倒れたりするまでの時間を計測するんです。僕は4分で倒れてしまい、「起立性調節障害」と診断されました。

ー診断されたときの心境ってどうでした?

伊藤:自分が抱えている原因がわかったという部分では安心しましたけど、やっぱり一番に浮かんだのは「なんで自分だけがこんな症状に悩まされて、理不尽な思いをしなければいけないのか」という憤りですね。

ー両親はどんな反応でしたか?

伊藤:最初はちょっとショックを受けていたんじゃないでしょうか?母親は特に。だけど、病気のことを尊重してくれてサポートしてくれました。学校へ無理に行けとも言わないし、昼から行ったら?とか提案してくれたり、学校の部活には行けないから、地域のバドミントンクラブに行かせてもらったり。仕事中もわざわざ、僕を起こすためだけに帰ってきてくれたりもしました。

ーバドミントンを辞めようとは思わなかったのですか?

伊藤:逆に、バドミントンを続けられたから最悪な結果を免れたというか、心まで病まずに済んだんだと思います。バドミントンが救いになっていた。初めは楽しいだけだったバドミントンも、中学からはなくてはならいものになっていて、自分の人生の一部というか。だから病気を発症した後も、バドミントンを続けることが、自分が正常であることを証明してくれるものでした。

ーそうまで思わせるバドミントンの魅力ってどこにあるのでしょう。

伊藤:僕にとってスポーツは、頭の中で一つの動きをイメージして、感覚を合わせていく動作なんです。バトミントンはその頻度が非常に高い。脳からの信号が少しでもズレたら自分の思うところに羽が飛ばない。ゲームも、コントローラーを通じて、自分の脳とゲームのキャラクターが一体になるじゃないですか。車の運転も同じです。イメージしたものと実際の動きがバチっとハマる時になんとも言えない爽快感がある。これは僕の自己分析なんですが、多分僕は、頭で描いたイメージ通りに、ものを動かすことに興味があるんだと思います。

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自分の原点に立ち返り、辿り着いたコンピューターサイエンスの世界

ーゲームは動かすだけではなく、実際に作ったりもしたそうですね。

伊藤:ゲーム作りは幼少期まで遡ります。スーパーとかに行くとあるアーケードゲームが好きで、学校でも遊びたいと思ってそれを紙で作っていました。ゲームのキャラを紙で再現して、パラメータとかを設定したりして遊んでいましたが、やはりデジタルとは当然ギャップがある(笑)。デジタルで作る方法がそのときわからなかったので、いずれ勉強してできるようになりたいという思いがずっとありました。

ーそして高校になってプログラミングを始めた?

伊藤:そうなんです。高校では、自分がやりたかったことに立ち返ろうと思いました。クリエイティブなことができて、バドミントンも運動程度に続けられて、体調が悪い僕でも通える学校、この3つを条件に学校を探したらピッタリ当てはまる高校が見つかったんです。

ーそれが伊藤さんの通っていた定時制の新宿山吹高校ですね。どのような学校だったんでしょうか?

伊藤:一言で言うと大学みたいな高校です。単位制で自分で好きにカリキュラムを組んで単位を取得していくという学校で、校則がほとんどなく、生徒の自主性を重んじる学校。だから個性的な人がたくさんいましたね。過去には数学オリンピック金メダリストなど、専門的な分野に精通している人が普通にいました。

ー学校生活はいかがでしたか?

伊藤:自分で最適化してカスタマイズできる仕組みをうまく利用して、僕は朝には授業を入れずに昼から授業を入れるようにしていました。高校1年目はバドミントンに打ち込んで、定時制のインターハイの団体戦で全国優勝もでき、一つ成功体験ができました。それから、コンピューターを学びたいと思って高校2年のときに最初は4日間くらいのプログラミング教室に申し込んだり、あとは半年以上もかけてクソゲーを完成させました(笑)。

ー一体どんなゲームだったんですか(笑)?

伊藤:一言で言うと、プランニングしたものと全く違うものができましたね。コンピューターのことを全く知らない時にプランニングしたので、作っていくうちに実装が難しいからってプランが余儀なく変更されたり、実際に操作すると重たいし、全く爽快感のないゲームになってしまった。ストレスの溜まるゲームになりました。その反省から、本格的にプログラミングが勉強したくなったんです。

ーそんな中で、42東京のことはどうやって見つけたんですか?

伊藤:両親が色々なURLをLINEで共有してくれた中に42東京の情報があったんです。

ーたまたま両親が42東京について送ってきてくれたんですね。

伊藤:僕が好きそうな情報を、いつもURLだけ添付してLINEで送ってくれていたんです。ふと見返したときに何かピンときた。その時必要なものがパッと目の前に現れた気がしました。人生って感じですよね。

ー今春で高校は無事卒業したそうですが、それまで高校と42東京のダブルスクールはいかがでしたか?

伊藤:「忙しかったんじゃないの?」って言われるんですが、学校と42東京にいくことで自分の日常や習慣を守っていたと言えます。目が覚めたら夜だったとか、普通なら一日を無駄にしてしまったって絶望的になるかと思うんですけど、そんな時に42東京のDiscordに入ったら、「さぁこれから学習するぞ!」って人がたくさんいて歓迎してくれる。夜起きてもそこから1日を取り戻せるんです。

ーそれは救われますね。

伊藤:寝る時間も長いのでその分、起きてる時間を有効に使いたかった。学校に行き、使える時間を42東京に充てて、相乗効果で自分のやりたいことができたかなと思っています。4年間かかったけど高校も卒業できました。

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(定時制高校ではバトミントンで輝かしい成績を残した:右から3番目)

42東京で未来をクリエイト、成功体験が自分を強くする。

ー今春から42東京にフルコミット、学習はいかがですか?

伊藤:今は頭の中に作りたいイメージがあって、それを実現させるためにプログラミングを勉強しています。コードを書く事そのものも好きなんですが、将来はプログラマーではなく、プランする側の人間になりたくて。

ー具体的に作りたいものを教えていただけますか?

伊藤:これも高校の時の失敗談なのですが、文化祭でインタラクティブデジタルアートに挑戦したんです。軽音部とコラボして、アンプから演奏した音を拾って、コンピューターがその振動を読み取り、同時処理で映像を出力する。失敗に終わりましたが(笑)。

ーチームラボみたいなやつですね。

伊藤:そうです。人が壁を触ると、リアルタイムに花が咲くみたいな、将来はそんな作品を作ってみたい。

ーそれこそ、頭のイメージと操作のズレが致命的になりますね。

伊藤:そうなんです。触って2秒遅れて映像が動くとか絶対だめじゃないですか。

ー42東京での学習は生かせそうですか?

伊藤:まず、C言語をはじめにやってよかったと思ってます。メモリのことを思いやれるようになりました。今流行りの言語は、文字列の足し算一つにしても、一見シンプルなコードに見えるけど、実は裏でコンピューターに幾つもの処理をさせてしまっていることがある。気づかないうちにメモリを使いまくってることも多いんです。内部をよく知ると、無駄のない、コンピュータに優しいコードになる。

ー処理速度にも影響が出ますね。

伊藤:アルゴリズムを知ってると計算量を減らすこともできます。コンピューターの持っている資源を考えて作る必要があるんですよね。僕の作りたいものは特にリアルタイム性が求められるので、ズレが生まれてはいけない。その点では、効率的なコードが書けるようになったことは大きいですね。

ーメンテナンスもしやすそう。

伊藤:ですね。僕が高2で作ったゲームは、自分でも何を書いたかコードが読めなくて(笑)、どこをどう書き換えて良いか怖くて触れない、戻れないから突き進むしかない。楽な方、できる方に進んでいった結果、面白くも何ともないクソゲーになりました(笑)。

ー良い作品作りのためにはコンピューターを理解することが大切、と。

伊藤:42東京で学習して、コンピューターの仕組みは思ったよりも深いことを知りました。僕が学んでいることは、まだ氷山の一角でしかないということを知った。ゲームでもデジタルアートでも、自分がイメージしたものがこの世に作られるために、もっとコンピューターを理解したい。その方が、エンジニアともコミュニケーションが取りやすいと思うんです。

ー42東京は自分の体調に合わせて学習できますが、将来、就職についてはどう考えていますか?

伊藤:体調のことで確かにずっと辛い思いをしてきたし、心配もされます。まだ万全じゃない。だけど、高校も42東京も僕に成功体験を積ませてくれて、それが今の自信に繋がっています。一度でも失敗経験があると、それでもう人生駄目だと思ってしまうかもしれないけど、違う。体調のことは一旦、振り切っています。自分の作りたいものが作れるのであれば、どんな働き方であろうと飛び込む覚悟はあります。体調のことを気にして、諦めて後悔だけはしたくない。クリエイティブな事業に携われるなら、生活習慣を克服したいですね。

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伊藤大和(Yamato Ito):
中学2年生で起立性調節障害と診断され、病気と向き合いながらバトミントンに打ち込む。高校は定時制高校へ通い、バトミントンを続けながらプログラミングの学習を開始。両親からの勧めで42東京のことを知り、2020年8月、18歳でPiscineを受験、2020年10月入学。
ダブルスクールの定時制高校を2022年3月に卒業。将来の夢は、クリエイティブな作品を作ること。現在最も興味のある分野はインタラクティブデジタルアート。

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取材・執筆:望月智久

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