人生のターニングポイントは「今」。家族も会社も守れるセキュリティエンジニアを目指して
日系ブラジル人の父を持つ木村歩美(きむらあゆみ)さん。6歳の時に来日、ついこの間まではファッションデザイナーを夢見る、ごく普通の女子高生だったと話します。高校卒業後、歳の離れた兄の影響でプログラミングの世界に興味を持ち、42東京へ。元々勉強は苦手だったと語る木村さんですが、持ち前のチャレンジ精神で経験ゼロからPiscineに挑み、合格。ここまでのストーリーと、この先見つめる将来について話を聞きました。
6歳でブラジルから日本へ。ファッションデザイナーを夢見る普通の高校生
ー6歳の時に日系ブラジル人である父の転勤を機に家族で日本に来たということですが、日本ではどんなふうに過ごしましたか?
木村歩美さん(以下:木村):普通の元気な子供でした。応援してくれる両親と、日本語を毎日教えてくれる兄のおかげで割と早く馴染めた気がしますね。
ー言葉の壁を感じる間も無く、すくすくと?
木村:最初は「トイレ」と「水」の2単語だけで小学校に通っていました(笑)。でもお父さんは日本語が話せるので小さい頃からたくさん聞いていましたし、毎日学校にも通ってたので小5くらいにはペラペラになって友達の家に泊まりに行ったりとかもできるようになりました。
ー中学時代はどんな感じでしたか?
木村:勉強は全然得意じゃなかったです。当時はファッションデザイナーに憧れていましたね。
ーファッションデザイナーに憧れたきっかけは?
木村:インターネットでランウェイを歩くモデルさんをみたのですが、モデルが歩いた後最後に歩いてくるデザイナーの姿がかっこよくて。勉強は英語以外はまともにやっていなかったので、いける学校も限られていたし、ファッションの高専はすごくお金がかかるので、高校からファッションの勉強ができる農業高校へ進学しました。
ー割と早い段階で目標に突き進んだんですね。家族や先生はその夢を応援してくれましたか?
木村:家族は否定したりしないでなんでも挑戦させてくれました。高校時代の先生は自分の夢を目一杯応援してくれて、それはとても大きかったですし、成長した姿を見せて感謝を伝えたいと思っています。
ーそこからプログラミングやエンジニアへの転向を決めるわけですが、どのような経緯でしょう?
木村:服作りの勉強は楽しかったです。けど、2年間勉強してみて「ファッションデザイナーは本当に自分のやりたいことじゃないかも?」と思い始めていました。ずっと夢見ていたことが突然なくなってしまって、違う夢を見つけて追いかけようと思ったんですが、無気力な時期が続き高校3年生までボーッと過ごしていました。そんな時に、歳の離れた兄が、エンジニアになるという夢をかなえたことを知りました。兄は私が小学5年生の時に大学をやり直すためにブラジルに帰ってコンピューターサイエンスの勉強をしていたのですが、私が高校を卒業する頃には夢を叶えてポルトガルでエンジニアになっていたんです。
ーエンジニアという仕事像が浮かんだのはお兄さんの影響なんですね。優しいお兄さんでしたか?
木村:優しいんですが、どちらかというと厳しい面もありましたね。日本に来てから小学5年生まで毎日、日本語の宿題をみてくれましたし、発音なんかも教えてくれました。もう10年会ってないんですが、兄が努力をして夢を叶えた姿を見て、「自分ももっとちゃんと本当にやりたい目標を決めて頑張らないといけないな」と強く思いました。
夢を叶えた兄の背中をみて、進路を見直した
ーそこで42東京と出会っていくわけですね?
木村:はい。元々はアメリカの大学に行きたかったんですが、コロナ禍で断念せざるを得ない中、ブラジルの友人から42東京の話を聞いたんです。世界中に展開されていて、ブラジルでは42はすごい人気で。それで、その運営方針や学習方法に衝撃を受けて、やってみることにしました。あまり考えすぎずに、とにかくやってみる。Piscineに挑戦してみるって感じだったと思います。
ー小学生の時ブラジルからいきなり日本に来た時とある意味同じ、完全にゼロからの挑戦ですね。42東京の入学試験「Piscine」はどのような体験でしたか?
木村:ターミナルさえも知らない中でPiscineへの挑戦を始めたんですが、仲間たちとコミュニケーションしながら勉強していく時間は楽しくて夢中になれました。はっと気づいたら18時間くらいパソコンと向き合ってる時が何度もありました。今まで英語以外は赤点まみれで、まともに勉強したこともなかったので「もっと勉強しておけばよかった」と思いました(笑)。気づけば自然と勉強するようになりました。朝起きて「Piscineだ!」と。
ー諦めそうになったり、心が折れてしまうようなことはなかったですか?
木村:今でも折れそうです(笑)。ただ一緒に学び合える環境のおかげで、とにかく夢中でやれていたという感じです。先を行っている仲間や先輩に追いつきたいという気持ちも大きいです。
ーそしてPiscineの合格。初心者で合格までいけるというのはかなり努力したと思うんですが、合格を知らされたときはどんな気持ちでしたか?
木村:めっちゃ嬉しかったですね!
ー木村さんは目標を決めると、迷いなく突き進んでいける人なんですね。心が折れそうになる時も頑張れたのは仲間の存在以外にどんなものがありましたか?
木村:やはり兄の影響は大きいかもしれません。「兄はもっともっと大変なことを乗り越えて夢を叶えたんだ」と思うと、挫けてられないなとなりますね。
ーお兄さんには42東京にトライしてる話や、勉強の悩みとかは話すんですか?
木村:実はPiscineの1日目の時、本当に辛くて兄に連絡しました。その時、エンジニアの厳しさを知るからこそ、あえて厳しい言葉をくれたんです。「合格できなかったら、エンジニアになるのは難しいんじゃない?」と言ってくれた。
ーそれではお兄さんも合格を喜んでいますね。
木村:今はVideoチャットとかはするんですが、プログラミングの話は全然話しません。変なプライドがあるんですよね(笑)次に会う時までに、もっと成長してびっくりさせたいなと思ってます。
ー多くを語らず、背中で語るお兄さんだからこそ、木村さんにとっては強く影響してるのかもしれませんね。Piscineに合格し、晴れて42東京の学生となった後、どのような学習を継続してきましたか?
木村:42東京でひたすら先へ先へ課題に取り組みながら、エンジニアにも色々あることを知りました。中でも、Born 2 Be Rootというセキュリティを学べるプログラムがあるのですが、その課題が、「エンジニアになりたい」って本気で思ったきっかけになりました。
CS50に挑戦して実感した、42東京の学びの大きさ
ーBorn 2 Be Rootはどのような課題なのですか?
木村:Born 2 Be Rootは仮想のセキュリティプログラムを作ってそれを検証するんです。取り組み出したらとにかく面白くてセキュリティの分野に強く惹かれるようになりました。
ーコンピュータセキュリティの分野に強い興味を持ったと。その発見は希望の進路に影響しそうですか?
木村:はい。今はセキュリティの分野のエンジニアになるのが目標になりました。セキュリティはどのような現場でもプロジェクトでも絶対必要なものですし、ある種土台のようなものだと思います。セキュリティがなければ何も始められないんだなと考えるようになりました。
ー希望の分野にも出会うことができたんですね。木村さんは42東京での学びを終えた後、どんな未来を描いていますか?
木村:今20歳なのですが、やはりアメリカに行く夢は諦められないので、42東京の学習とは別に、「CS50」というハーバード大学が無償で提供しているコンピュータサイエンスの入門プログラムに挑戦しています。クリアできたら、アメリカの大学を目指すときに有利になるので。
ーCS50は初めて42東京以外のカリキュラムに挑戦した形になったと思うのですが、やってみてどうでしたか?
木村:それが42東京で学んできたのもあって、私でもすらすらと解けるんです!びっくりしました。「あれ、できるようになってる!」と。
ー42東京のプログラムの力を実感できたわけですね。
木村:そうなんです。42東京で学んでる人なら簡単にクリアできてしまうんじゃないかと思います。
ー大学の後はどのような道を目指しますか?
木村:Amazonが提供しているクラウドのWebサービス、AWSのセキュリティエンジニアを目指してます。
ーこれまで目標に一途だった木村さんなので、様々な苦労を乗り越えてダイバーシティで働いてる姿がイメージできますね。木村さんが描くエンジニア像、魅力はどのようなものだと考えているのでしょうか?
木村:時間や場所に縛られず、信頼できる仲間と一緒に働く。疲れたら休んで、自宅で仕事をして、というようなスタイルに憧れるんです。友人のエンジニアも、自分の兄も、正にそういう働き方をしています。私は昔から好きなことしか頑張れない性格なので、自由のない場所では働けないと思います(笑)
ー晴れてその夢が叶ったとして、その先にあるさらに大きな夢はありますか?
木村:今私は大きな夢があるわけではないんです。一番失いたくないのは家族だし、両親もブラジルに帰りたいはずなので、私がしっかり成長して家族との時間をできるだけ長く大切にしながら、守っていける存在になりたいと思っています。昔、ファッションモデルではなくデザイナーに憧れたのも、「安心して取り組める土台」を作りたい、守りたいという考え方があるのかもしれないです。モデルも、デザイナーがいなければ始まりませんし、ステージがなければ歩けません。
ー繋がりましたね。そうなったらお兄さんも誇らしいですね
木村:あえて大きい夢を上げるとしたら、いつか兄とも一緒に仕事ができたり、肩を並べて話をしたいというのは大きな夢としてありますね。
ー最後に、木村さんが20歳までのこれまでを振り返り、最も大きいターニングポイントはいつだと思いますか?
木村:間違いなく今年だと思います。漠然とファッションデザイナーを夢見てた時とは何もかもが違っていて、自分でも驚いています。42東京で今まであったことのない仲間に出会え、コミュニケーションする中で自分を成長させてもらい、一個一個できることが増えていきました。このまま、仲間や兄の背中を追っていけるところまで走り続けます。
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取材・執筆:中野陽介