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弱点だった協調性が今では最大の武器に。コロナ禍に飲み込まれた一流料理人が自分と闘ったこの一年。

42東京

勉強会や輪読会など、周囲を巻き込む学習を42東京で積極的に行なっている松川陵さん。2月からは企業でのインターンシップを開始し、エンジニアとしてのキャリアを着実に積み上げています。入学以降、周りの学生と積極的に関わり、会話を大事にしてきた松川さんの前職は料理人。キャリアチェンジを決意したコロナ禍から42東京に至るまでの経緯を聞きました。

料理を楽しいと思えた初期衝動。仙台で過ごした幼少期の思い出

ー1年前、42東京に入学する以前は、松川さんは飲食店でシェフをやられていました。飲食業界へ進んだ経緯を教えてください。

松川陵(以下:松川):実家が宮城県・仙台市にありまして、隣の畑でおばあちゃんが米や野菜を作っているような環境で育ちました。食との距離が近く、子供の頃からご飯の支度を手伝って、家族に喜んでもらうことが嬉しかったのを覚えています。そこからずっと頭の片隅に料理の道に進んでみたいという思いがあり、高校卒業後に調理の専門学校に入りました。

ーご飯の手伝いをしていたのは年齢的にはいつぐらいのときですか?

松川:小学校くらいですね。中学高校は部活中心の生活で、あまり手伝えなかったんですけど、小学校のときの思い出がずっと残っていたんです。家族以外の人に自分の作った料理を食べてもらいたいとか、もっといろいろな料理が作れるようになりたいという思いがあって、調理師の専門学校に進みました。

ーちなみに、部活は何をされていたんでしょうか?

松川:バスケットボールですね。兄がやっていた影響で、中高とバスケをやっていました。NBA選手のコービー・ブライアントがすごく好きで。
彼の有名なマンバ・メンタリティというのがあるんですけど、それが今でも自分のマインドになっています。「常に最高の自分になろうと努力を続けること。 昨日よりももっと良い自分になろうとし続けること。」っていう。

ー専門学校は、入ってみていかがでした?

松川:シンプルに面白いと感じました。技術が向上していくのを実感しましたし、レパートリーも増えて、2年間料理にガッツリ打ち込める環境にハマっていました。追求した分だけやれることは増えるし、人に喜んでもらえることにやり甲斐を感じていました。漠然と、自分は三つ星シェフになるぞって思ってました。

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有名レストランでの挫折と学び コミュニケーションの大切さ

ー調理専門学校で切磋琢磨して卒業し、卒業後はミシュランの星がある飲食店に就職されました。どういったお店だったんでしょうか?

松川:いわゆる有名店と言われるような、東京のイタリアンのお店です。正直、専門学校卒業して自信がめちゃくちゃあったんですけど、ここで大きな挫折を経験しました。専門学校在学中も、仙台でも有数の有名店でアルバイトしていて、かなり信頼されていたんですね。これは東京でも通用するぞ、と鼻息荒く行ってみたものの、全然通用しませんでした(苦笑)。

ー通用しなかった、というのは具体的にはどんな部分でしょうか?

松川:技術というよりは、仕事に対する考え方、価値観が幼かったんだと思います。3ヶ月の試用期間中、自分よりも年齢が2つ下の同期が1人いたんですね。自分はあまり、コミュニケーションを取らず、とにかく技術を磨くことに専念していました。一方、もう1人は技術は自分よりも拙かったけれど、周囲と協調して取り組んでいました。その結果として、自分は雇ってもらえず、正式に採用されたのはもう1人の方でした。

ー松川さんとしてはかなりショックな出来事だと思いますが、振り返ってみていかがでしょう?

松川:仕事をする上で技術は大切だけど、重要なのはチームワークなんだと、学んだことは大きかったです。

ーその後は別のお店に?

松川:本気ならという条件の下、次に働くお店を紹介してくれたんです。そのお店もミシュランで2つ星を取っている有名なフレンチのお店でした。協調性の部分で注意されることもしばしばでしたが、周囲とコミュニケーションを積極的に取るようにして、2年間働かせていただきました。

ー2年働いてまた別のお店に行ったとのことですが、そこではどれくらい働いたのでしょうか?

松川:ちょうど1年間くらいですね。ソムリエの資格がとりたかったので、ワインと料理に精通したお店で。これまでの経歴も評価してもらえ、お店では2番手として働いていたので、やり甲斐を感じながら打ち込んでいました。
ただ、ソムリエの資格は取ったのですが、その最中に世界がコロナ禍になってしまいました。

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料理人として修行中の松川さん

飲食業界からの転身を決意した コロナ禍での不安

ー飲食業界は今なおコロナ禍の影響を受けていると思いますが、松川さんと同じように飲食以外の仕事へ舵を切る人はいましたか?

松川:実際に行動に移す人は少なかったですけど、将来に不安を抱いている人は多かったと思います。

ー松川さんが感じた危機感に関連して、印象的だった出来事はありますか?

松川:1ヶ月間ロックダウンになったときですね。そんなこと今まで経験したことなかったですから、これは本格的にヤバイなと思いました。この先も、災害など起こらない保証などもないですし、そうなったときに飲食業界で働き続けることに対して、希望よりも不安の方が大きくなってしまったんです。

飲食以外の道へ進むために、プログラミングを勉強し始めようと思ったのはなぜなのでしょうか?

松川:飲食以外の選択肢を考えることができたのは、仮に違うことにチャレンジして失敗しても、飲食に戻れるくらいのスキルを身につけてきたという自負があるからです。小学校でプログラミングが必修科目になったり、10年後にIT人材が不足するなど、IT業界に関するニュースが頻繁にコロナ禍の中で報じられていたことがきっかけです。

ー料理人としての自信が後押ししてくれたんですね。飲食からのキャリアチェンジということでご家族の反応はいかがでしたか?

松川:最初は心配されました。最近では、応援してくれているし見守ってくれています。

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プログラミングを始めて感じた手応え。42東京で得たもの

ーどんな風にプログラミングの学習を始めたのか教えてください。

松川:最初は独学で、「Progate」とか「ドットインストール」という無料もしくは少額でできるプログラミング学習サービスを使って、出勤前とか、休日を利用して勉強していました。簡単なコードを書いてプログラムを動かしたりしていました。

ープログラミングのどんなところに魅力を感じましたか?

松川:動かせることに対する喜びですね。最初は簡単なピンポンゲームを作っていたんですけど、もっと学んでいけば、新しい経験や自分にできることが広がるなと思いました。だったら本格的に学びたいなとプログラミングスクールを検討し始めました。

ー42東京にたどり着いた経緯を教えてください。

松川:42東京のnoteで学生さんのインタビューを読んでいたら、面白そうだなと。そして一ヶ月間の入学試験の「Piscine(ピシン)」が決め手でした。僕自身、全くの未経験者で異業種。好きとは言え、やはり何かしらセンスがなければ続けられないので、Piscineを受けている一ヶ月で、職業エンジニアとしての資質があるのかどうかの適正を見極められると思いました。

ー実際受けてみてどうでした?

松川:僕が受けたときは100名くらい色々なバックボーンを持つ人が受けていたんですけど、有名大学出身の人や、すでにエンジニアとしてキャリアを積んでいる人など、スタートのときは圧倒されました。どんなことを聞いたらいいのかわからない状況で緊張していたんですが、勇気を振り絞って質問してみたらみんな親切に教えてくれて、「これはやっていけそうだな」と思えました。

ー挫折しそうになったりはしました?

松川:つまづきそうになったら、Discord上で意見を交わして課題を解決していったので、挫折はなかったです。僕が助けてもらうだけでなく、困っている人がいたら声をかけるようにして、一ヶ月を過ごしていました。

ー入学してみて、ギャップを感じた部分はありますか?

松川:ネガティブなギャップというのはなかったです。想定以上にレベルが高いというのは率直に感じました。だけどその分、モチベーションが上がりましたね。

ー過去には協調性という弱点がありましたが、42東京ではいかがですか?

松川:おそらく、年齢や経歴に関係なく、昨年4月に入学していちばん多くの学生とコミュニケーションを取っているのではないかと思います。朝の決まった時間から仲間と集まり、朝から晩まで相談しながら学習を進めてきました。違う課題を進めている人たちとも、勉強会や輪読会など積極的に行動に移して、周りを巻き込んで学習を続けたことが、成果に繋がっていると思います。

ー松川さんが42東京で得たものはなんでしょうか?

松川:一生学び合えるような仲間ができたことです。卒業してもずっと連絡を取っていくだろうと思える人がたくさんいますね。

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自分でなければできない仕事を。エンジニアの司令塔を目指して

ー今後の進路を考えるために取り組んでいることはありますか?

松川:約1年間の契約で 長期インターンに週3日参加しています。残りの4日間、42東京にコミットするというサイクルです。

ー実際にエンジニアの現場に入ってみていかがですか?

松川:僕が行っているのはミドルベンチャーで、事業をいくつかやっている企業なのですが、最初はエンジニアとして仕事をすることに不安はありました。やり始めると課題に対して自発的に行動して解決していくということは42東京も現場も変わらないということを実感しました。エンジニアとして、自信を持って前向きに取り組めています。

ー42東京で自分自身で変わったと思う部分はありますか?

松川:深く考えることの大切さを実感しています。考え抜く力というのは優秀な人たちの共通点だなと思いました。飲食でサービスをやっていた時は聞かれたことに対してすぐ答える、瞬発力を求められることが多かったですが、時間をかけて答えを出すことの重要性を、日々の取り組みや課題、コミュニケーションから学んでいます。的確な解答ができているかはわからないんですが、考えることに対しての意識は向上していると感じています。

ー42東京での学びを具体的にどのように活かしたいか、今後のビジョンを教えてください。

松川:やはり僕はチームワークに興味があって、BtoB向けのグループウェア、社内のコミュニケーションをより円滑にするようなシステムや、課題解決に導けるようなものが作りたいと思っています。

ー三つ星シェフを目指していた松川さんは、エンジニアでも突き抜けた存在になることを目標に掲げています。具体的にはどんなエンジニアなのでしょうか?

松川:自分ではスペシャリストではなくゼネラリストだと思っていて、専門的な分野に特化するより今までの経験を踏まえた複合的な能力が強みです。自分が中心となって、チームとコミュニケーションをとりながら、プロジェクトを動かし、アウトプットしていくようなエンジニアになれるのが理想。もちろん技術的にも突き抜けないといけないのですが、他の人には真似できない最強のチームワークを築くスキルを、突き詰めて行きたいと思っています。

ーバスケで言うところのポイントガード的なポジションですね。

松川:バスケではフォワードだったんですけど、確かにエンジニアならポイントガードかもしれないです。自分だからこそできるようなプレイヤーの采配をして、プロジェクトを成功に導くような。

松川陵(Ryo Matsukawa)
仙台の一つ星レストランでのアルバイトを経て上京。調理師、料理人として2年間調理の専門学校に通う。専門学校時代に有名店食べ歩き、魅了され、自ら三つ星シェフを志す。 卒業後はミシェランのレストランで働きながらソムリエの資格を取得。コロナ禍に於いて、度重なるまん延防止等重点措置によるレストランの休業や時短要請を受け、エンジニアへの転向を決意する。数あるプログラミングスクールから42東京を選択。2021年1月Piscine受験、2021年4月入学。
NBA選手のコービー・ブライアントのマンバ・メンタリティにちなんで、SNSのアカウントは"ryo-manba"に統一している。
GitHub : https://github.com/ryo-manba
Twitter : https://twitter.com/ryo_manba
はてなぶろぐ : https://ryo-manba.hatenablog.com/

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取材・執筆:望月智久

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フランス発のエンジニア養成機関・42 Tokyo(フォーティーツー)公式noteです。当校の取り組みや学生の様子を紹介、入学試験 Piscineの体験談をまとめています。